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海に墓標を

友人から読んでと本を渡された。友人は知人からもらったそうだが
テーマが重すぎてちょっと読み切れなかったようだ。
私は非常に感銘を受けたので少し紹介させてもらいます。

2012-5-29otowasanmaru001.jpg
作者は岡山県の人でプロの作家ではない

戦死公報には比島方面で戦死とあるだけで状況はもちろん遺骨も
帰ってこなかった父親の最期を執念で突き止めた物語である。

岡山県の田舎で農業していた父親は妻子を残し36歳で招集された。
中元さんが調べて判明した戦死の日は奇しくも37歳の誕生日だった。
妻子を残し死んでいった父親も死んでも死にきれなかったと思うが
戦後母親もなくなり兄弟だけで生き抜いた中元さんたちの苦労も
筆舌に尽くしがたい。

日本が引き起こした戦争に翻弄された庶民の一つの典型だろう。
それにしても国も命を捧げた兵士の最期ぐらいは遺族に丁寧に
知らせるべきではないか。戦後すぐには無理としても世の中が
落ち着いてからでも調査は可能だったはずだ。現に中元さんは
独力で調べている。

多くの遺骨も現地に放置されたままだ。兵士だった人、遺族が
生きているうちに国の責任で手をつけるべき問題だろう。
放置すれば国の怠慢といわれても言い訳できないと思う。

「ヒ82」船団 シンガポールから内地に石油を輸送する
5隻のタンカーと5隻の護衛の海防艦(フリゲート艦)で編成していた。

父親はこの一隻の「音羽山丸」に陸軍船舶砲兵として乗り組んでいた。
昭和19年12月22日僚船の「御室山丸、ありた丸」と共に米潜水艦
の攻撃でベトナム沖に沈んだ。

すでにレイテ島に米軍が上陸し内地と南方を結ぶ航路は閉ざされようとしていた。
完全に払底したガソリン、重油を内地に還送すべく集められた日本に
最後に残された高速優秀船団 ガソリンを満載した音羽山丸、ありた丸は
火の海となり乗組員もろとも海底に沈んだ。わずかな生存者が救助されただけだ。

戦没した輸送船の乗組員の御霊に合掌

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